唐の陶器は三彩。宋は青磁、白磁。違いは焼き物にとどまらず、詩にも建築にも庭園にも及ぶ。人生の悲哀を語らず人生の哲学を語る。山水詩人はすでになく、人間への興味が中心となった。政治が変わったのではなく、人々の意識が変わったのである。それは唐の時代を引き継ぎながら唐の時代を否定することであった。
 社会的意識が変わるのは、価値観が変わるからである。公共サービスに対する行政の考え方は変わったか。地方自治体は企業と同じように「経営」するものとなり、保育も「サービス」するものとなり、住民は権利者ではなく消費者となった。そう考えることで、行政と企業の垣根は低くなる。
 公共サービスが市場化にさらされ、そこで働く人々の労働者としての権利が著しく侵害されていることをすでに述べた。改善は可能か。労働者の待遇改善は資本との関係に係る。労働組合があって改善要求のたたかいがなければ、法令に違反していることさえ隠蔽され、改善は遠のく。指定管理者制度とは行政を「代行」して、公共サービスを行うが、「基本協定書」も「年度協定書」も厳密には強制力がないから、サービス残業を是正させることさえ、ご協力をお願いしなければならない。この制度の下では、民間のノウハウとは安い人件費で事業を行うことでしかない。民間による行政サービスで経費を削減できると考えたとき、伝統的な強い主観主義が支配し、客観的に公共サービスがどう影響されるかという本質的問題を見抜くことができなかった。それは能力の問題ではない。そうではなくて、公共サービスが住民の権利であるという意識が希薄だったことにある。
「第二次経営刷新計画」における「公共サービスの民間開放」は、民営化、民間委託、指定管理者制度などの手法で、職員の人件費の縮小を行い、これを「効果(額)」と表現している。
 第一にその結果、どういう事態が生じたか、また生じつつあるか。まず、低賃金と不安定雇用を常態化した公務労働を生み出した。給食の民間委託のように偽装請負の疑いも問われる。専門職としての報酬は値引きされ、公務労働は単なる労働力として扱われる。図書館では、本部から人件費削減を求められ、区の図書館では残業が強要されている。公務労働は企業論理による労務管理の対象となった。つまり労働は商取引の要素となり、激しいダンピング競争の中にさらされている。
 第二に、こうした労働環境が長く続けばどういうことが起きるか。働いても生きることに精一杯の労賃では長続きしないから、熟練は形成されない。また短期の使い捨て労働でしかないから、働き手の能力に依存する住民サービスの質の低下につながるだろう。
 したがって第三に、こうした形態の公共サービスは、単年度の収支決算でもたらされる利益とコストだけで採算を判断するわけにはいかない。中長期的には公共サービスの基本的性格に対する区民の信頼を失う可能性が高まるからである。
生きる要求に直接かかわる公共サービスの分野は、一時的には財政支出が増大しても、長期的視野にたった財政投入をすることこそ、自治体の財政運営の根幹とすべきであろう。木を見て森を見ず。「経営刷新計画」における「民間開放」は抜本的に見直すべきである。
 
 さらにアウトソーシング先にありきの行政運営の結果、何が課題となり、それを検証する視点を次に示す。
 これまで行政にとっての課題とは、アウトソーシングの種類の選択であったり、手続きでしかなく、公共サービスの質の問題やそこで働く労働者の働き方ではなかった。「官から民へ」のスローガンは「行政の経営効率」を最優先する手段として、最小の経費で最大の効果を「民間活力」によって達成できるはずだ、という号砲であった。実際には、当面の経費の削減と公共サービスが安い労働力に担われるというに過ぎない。だが、「構造改革」の10年の後、国民の関心は貧困と格差の発生源にようやく目を向け始めた。誰が、なぜ・・・。
 行政もまた、官製ワーキングプアを作り出す側の責任を問われ始めている。板橋区では、指定管理者における人件費の算定を、直営の6割としてきたが、それを改めるのは制度の導入時には働く人々の不安がどう広がるか、社会の雇用不安がどうなるかは、思慮の外であったことを告白している。
 その不安は、指定管理者による管理・運営施設においてはっきり現れた。5月に行われた社会保険労務士による「モニタリング調査」結果が公表された。区の体育施設のすべてを一括して受託しているのは、㈱コナミスポーツ&ライフである。長時間労働の不安、有給休暇制度の有名無実、自己責任の健康管理、事故が起きても労災の対象外、時間外・休日労働協定の空洞化。慎重だがはっきりと書かれた。これが行政が生み出した公務労働の外部化であって、人権を保障するための公共サービスを、人権を著しく疎外された労働が支えている。保育園では低賃金と経験不足の不安があり、総合評価でもあり得べからぬ70点未満、評価Cでは、直営園時代と比べてレベルダウンは一目瞭然。人件費を抑えて、保育サービスは良くなるという信じがたい理屈は否定された。図書館についてはすでに述べた。他の施設も基本的に同じ。
 では改善は可能か。
TBS『朝ズバ』の取材を受ける。
 板橋区の監査委員は4人。うち議会選出は2人。1年ごとに交替し、5月中旬に任期切れのため、新旧の監査委員が5月分の報酬14万9000円を受け取る。1年間の報酬が13ヵ月分だ。「ほっとけない!」とTBS。
 受け取る監査委員がけしからん、となりそうだが、正確には行政委員の報酬を決める報酬審議会が定めている。さらに言えば区長の判断による。基本的には議会は決定の外にある。放送で足立区の自民党の幹事長が是正を決めたと発言していたが、彼が決める話ではない。そうすべきだという意見は可能だが。・・・
 取材は1時間ぐらいだったがインタビュー部分は2分程度であったろうか。本来、取材を受けるべきなのは行政委員の報酬を出している区長の方だが、区長は取材を受けないで文書回答で済ませた。制度上の改善をすればすぐ解決できるのだから、取材を受ければいいものを。・・・
 同じく取材の申込みを前監査委員であった熊倉区議が受けていたが、区の方からやんわりと区長と同じように文書回答にしてくれないかと打診があった。「ほっとけない!」。
取材を受けることにした。区長の方は見直しをすることにしたようだ。私は取材を受ける予定はなかったが、なりゆきで急遽カメラの前に座ることになった。放送を見て自分の顔が画面枠をはみ出すように映り、一瞬鼻毛が見えたような。・・・「ほっとけない!」
(正式のコメントは、ホットニュースをご覧下さい)
「予想しなければ、予想外のことも見えない」ヘラクレイトスはそう言ったそうだが、今回の総選挙は民主党もこれほど勝つとは予想しなかったし、自民党もこれほど負けるとは予想しなかったかもしれない。日本経団連の御手洗会長が地球温暖化対策問題で、TVに出て25%削減に抵抗する発言があったが、財界もまた自分たちの手の内から民主党が出て行く可能性について、公に、物申すことは予想外だったのかもしれない。
 「すべての業種が総崩れの状態」(「中小企業白書」)で社会の根が抜けていく経済システムをつくりだした財界は、これまでどおり財界第一の政治を望む。だが国民生活を壊してなお進もうというのは、選挙の結果は自分たちにも向けられていることを理解していないことを告白する。中小企業と国民の暮らしを踏み台にして法外な優遇を享受してきた財界の合言葉は、国際競争力をつけなければ国民経済は大変になるというものだ。しかし、国際競争力が強くなったという話はないし、一部の大企業が空前の利益をあげても国民経済が良くなったことはない。ただ目先の利益のために政治と国民感情を動員していたのなら、その企業人としての腐敗ぶりはやがてはさらに表面化し、国民との対立にいたるかもしれない。せめてその程度は予想せよ、ということではないか。
 「本能寺の溝は幾尺あるか」と光秀が問い、連歌師・里村紹巴(じょうは)「時は今あめが下しる五月哉」の句で弑虐は決まった。後に頼山陽(1780~1832)は漢詩『本能寺』で、本当の敵は備中にあったのではないかと詠んだ。秀吉のことは予想外ではなかったはずだということ。
「世界一魔性を秘めたビール」デュベルを飲みながら、井上ひさし『ムサシ』を読んでいた。巌流島の決闘で一命を取りとめて、6年間リハビリと修行をしなおした小次郎が武蔵を探り当て再チャレンジを申し込む。戯曲では武蔵35歳、小次郎は20代後半。小次郎が巌流島で闘った実年齢は18歳とも60歳ぐらいとも要するによくわからない。『ムサシ』では、結局ふたりは殺しあうことの馬鹿馬鹿しさがわかって、それぞれに旅立っていった。再決闘の場面で小次郎がまた鞘を捨てたので、武蔵「小次郎敗れたり」と言えば、小次郎「鞘は勝ってからゆっくり拾う」・・・武蔵「手(腕)を上げたな」なんていうところがなんとなく可笑しい。奥行きとユーモアを同時に表現して、ふとセザンヌ。
 殺しあうことの空しさが地球の自転あるいは歴史の中に描かれた『子午線の祀り』では、運命というより、能の技法がそれぞれの登場人物のそれぞれの内なる孤独を表現しているように思えたものだった。現実から非現実へ。それは戯曲でなくても芭蕉の『幻住庵記』でも同じ。ただ『ムサシ』も『子午線の祀り』にもやはり大いなる人間賛歌あるいは人間への誠実さに溢れている、と思う。魔性のベルギービール・デュベルは、泡もまた素晴らしくソフトクリームのように盛り上がることが可能で、なおかつ横にしてもこの泡のおかげで中のビールがこぼれない。こうしたビールを飲むのもたまには・・・ね。
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# by otajcpitabashi | 2009-06-10 16:03 | 読書 | Trackback | Comments(0)
「始まりが半分だ」。政治を自分たちの意思で変えられると、思う人々が多数になるときその道は半ばに来たと言えるのかもしれません。
 5月3日、同志社大学で開かれた「憲法タウンミーティング・in・京都」で、民主党の国会議員松井孝治氏が「現行の憲法を変えないのは不磨の大典にしがみついているもの」と述べたそうです。松井氏は永久不滅の意味で「不磨の大典」と使ったようです。専門家によると、「不磨」の原典は『後漢書』にある「千里の差は豪端より興り、失得の源は百世不磨なり」で、大きな禍の元はわずかな間違いから始まり、その失敗の源は百代たっても無くならないという意味なのだそうです。この方も述べていますが、明治憲法のもとで無謀な戦争による歴史的破滅という極点までいってしまった。それなのに禍の大もとの明治憲法の詔勅に使われた「不磨の大典」という言葉を持ち出して、現憲法にしがみつく方が悪いと言うのは、原典で使われた意味とは正反対で使ったことになります。世の中に永久不滅などはありはしません。政治も変えられます。いま希望が持てなくても変える力は確かに人々にあるはずだからです。「風の吹くまま波打つままに 水は深いほど音をたてぬ」(茨木のり子)が、深い水底から湧き上がる力が上に向かう時、その重い水圧を押し上げていく巨大なエネルギーを誰が押しとどめることができるでしょうか。
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「ありやなしや」。『伊勢物語』の「名にしおば いざ言問はむ 都鳥 わが思う人は ありやなしやと」では、空想上の女性の存在に想いを寄せる。現代。政権交代で政治が変わるだろうか、という言問いに、それはありやなしやと・・・。世論調査では自民党と民主党にあまり違いはないと、7割近い人が答えているから、民主党に投票しようと思う有権者は幻想を追い求めることになるだろうけれども、それも選択のひとつには違いない。将来を予想できても、つまり変わる期待はあまりしないが変わって欲しいという願いが込められるのだろうか。どちらも選べないか、選んでも否定的な結果を選択してしまうダブル・バインドと思わされている有権者が多いもとで、二つの政党が違いを強調すればするほどその差異は架空になる。これほどに雇用と社会保障の底が抜けていってなお、その建て直しを選挙公約の中心に打ち出せない政党は、主権者から遠く離れていく自分の姿が見えるのだろうか。遠く離れてしまった政党をいつまでも有権者は追いかけていってはならない。そのためにも主権者自身が、こういう社会にしたいと具体的イメージをもてるようになることが大切なのではないだろうか。だから巨大マスメディアの果たす役割は大きい。それから初めて「始まりが半分だ」。
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オバマ政権が直面しているのは、完全に底が抜けた社会の建て直しだが、とくに医療と教育に新自由主義が入り込んだために、建て直しの困難さも途方もないのではないだろうか。新自由主義の清算とヘッジファンドの抜本的規制、そして実体経済を強くすることが必要だ。しかし、グリーン・ニューディールはニューディールが失敗したように、ただ巨額の財政支出に終わる可能性がある。実体経済を本当に強めようとするなら、軍事費優先とは相容れないから、建て直しを挫折させるか軍事国家であることをやめるか、選択を求められていると思う。オバマ政権はその自覚が「ありやなしや」。
 自覚がまったく見られないのが麻生政権で、新自由主義路線を見直す気配は全くなく、教育も社会保障も競争にさらせば良くなるなどという妄想を追い続ける。アメリカ社会が崩壊していく姿を目の当りにしてもなお、であるから、グレゴリー・ザムザ状態に近い。補正予算での巨額の財政支出のほとんどは大企業向けで、庶民に月1000円一年分だけを配るのは、計画的無秩序そのものではないか。教訓のもう一つは、アメリカといえども軍事優先では社会の歪が拡大するだけということだが、日本の政治家はまったく無頓着すぎる。「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と言われて自衛隊をイラクに送り、制服組はこれで一人前だと胸を張り、事実上シビリアン・コントロールがないので一人歩きしたがる。だがP3Cも何もかも旧式で、5兆円近くの軍事費のほとんどは人件費と過去に買ったものの借金返済に充てられているという。それでも北朝鮮には先制攻撃が有効だなどと発言する者が出てくる。あなたの「安全」は世界の安全ではない、と言われてもたぶん理解できない。
 地方政治のほうは、新自由主義の実践者として民営化すればなんでも良くなると、信じて疑わず、非正規雇用を生みだしながら経費を削減中で、核爆弾を含むテロ攻撃に備えるパンフレットを配っている。
 いくらアメリカとの同盟を最優先するからといって、何から何まで対日要求への公約を果たすのは愚かではないのか。周回遅れで走って行けばそこにアメリカが落ちた絶望という大きな穴がある。
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『相棒』シリーズで、検察官に都合のよいビデオ編集がもとで、死なずにすんだはずの人が殺害されるというのがあった。検察官が自分たちに都合のいいように裁判の準備をするのは、やむを得ないが、問題が多い、というのでは問題がある。警察が自白調書を取るだけを録画し、それも編集可能が許されるかどうか以前に、アメリカのように弁護士が来るまで取調べができず、取調べには弁護士が横にいて自由に発言できるのであれば、こうしたドラマは成立しない。人権が守られていないことにドラマを見ている私たちは、慣らされ過ぎているのではないだろうか。23日の拘留期限が切れる前に、自白をさせようと奮闘する刑事は、警察の留置場を代用監獄にしているし、自白しなければ長期に拘留する。ドラマは現実を「当然」のごとく反映している。が、「やめなさい」という国連自由権規約委員会の厳しい勧告を無視し続けている現実は反映されることがない。
 こうした人権意識の極端な希薄さは、刑事訴訟法の「改正」に色濃く反映された。裁判員も傍聴者もいない非公開の「公判前整理手続」で弁護側は、弁護の内容、アリバイ、検察側への反論もさらけ出さなければならない。すべて検察側に有利な仕組みであって、検察官は裁判官との人事交流でその思想を共有するとなれば、「迅速裁判」はその下ごしらえ故に拡大する。強盗未遂事件がたった一日、6時間で懲役15年が言い渡されたように、公判前整理手続を使えば、三日以内で5割、五日以内で9割が判決まで終わらせることが出来る。
 そのうえ、審理の準備用に開示された証拠を、被告、弁護側が「目的外使用」することを懲役と罰金で禁止し、冤罪事件の裁判批判は「証拠の目的外使用」の刑罰にあたるということでは、国民の裁判批判を許さないという権力の独裁につながる。日本社会は昔からものを隠すことが当たり前のようになっていて、奥義とか秘伝とか、いうのであればそれほど実害はないが、裁判員となった一般市民が死ぬまで守秘義務を懲役と罰金で科せられるというのは、他に例がない。(坂本修弁護士の論説を読んで)
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年度末にも新たな失業者は約40万人に達する恐れがあると、業界団体が述べているそうです。一度でも解雇されるのは生活のこともありますが、精神面でも追い込まれていきます。昔の「日本的経営」といえば、終身雇用で家族のように働くことのように言われました。この集団主義はしかし、日本共産党員であったりした場合、見せしめに仕事を奪い会社にたてつくような者はこうなるぞ、と脅しながらさながら村八分のように扱いました。そうやって労働者の声を押さえ込んでいきました。
 しかし現在は、圧倒的に非正規の労働者が多く、声を奪われた者を容赦なく切り捨てれば事足りるようになりました。かつては職場に憲法なし、などと言われました。しかしいまは、日雇い派遣労働者などはモノとして扱われるので、FAX一枚に必要な材料と必要な人数がかかれ発注されたりします。憲法は「人間」に適用されますがモノには適用されません。こんな愚かな社会のあり方は変えるべきと誰もが感じるのです。でも政治家の多くがそう思っていないのなら、経営者が今の方が将来の社会にとって有益だと考えているなら、社会はそう簡単に変わるようには見えません。ただ確実なのは、圧倒的多くの人々が変えたほうがいいと思い始めていることだと思います。オバマのスローガンはアメリカで有効だっただけでなく、私たちの社会でも有効です。
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本当のことを言ったほうがいい。その方が政治がわかりやすくなるものだ。そういえば大久保利通から五代目の麻生太郎首相は、おじいさんの吉田茂に似たようだ。『天皇の玉音放送』(小森陽一)によると、吉田茂は敗戦直後のヒロヒトの人間宣言の文案の漢字が読めない低脳とののしられ、ふり仮名をつけたと記されている。かくも政治家はこうなるのだろうか。
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戦争とはいかに無駄遣いするものなのか。アメリカの経済学者スティグリッツ『世界を不幸にするアメリカの戦争経済~イラク戦費3兆億ドルの衝撃』によると、日本がイラク戦争でいくら負担しているかを計算すると30兆円になるという。テロと戦うための国際貢献費用とはいまさらいえる出費ではない。小泉構造改革の5年間で約200兆円もの財政赤字が増えたが、みんなひっくるめてツケは消費税増税でお願いしますと言われて、やむを得ないねというのは余程のお人よし国民に見える。大久保利通から五代目で且つ吉田茂の孫にあたるASO首相は、行いと止(ふるまい)とは千万に端(わか)れ是非を知らない。酩酊大臣とお友達というのも、類をもって集まるの見本のようだ。アポリア的課題に思考停止状態になりながら、選挙で政権を失ったら・・・などとくさぐさの妄想の毎日に違いない。だが、「貧乏に追いつかれたり今朝の秋」蕪村のため息はいまや、国民のため息と重なっている。自民党がどうあがいても、国民の政治信任に対する限界領域はとっくに超えてしまっている。
福岡市に行った。気温は東京とあまり変わらず、しかし空は東京より広かった。福岡市総合図書館に行くために、天神からタクシーで高速道路を使わなくても20分ぐらいで着くと言われていた。蔵書約140万冊の巨大な市立図書館は、全てに豪華で館内の閲覧席だけで1000もあるという。厳重に管理されたフィルム・ライブラリーを上映するミニ・シアターも二つ併設する。民間委託、指定管理者制度に委ねることはしないが、経費節約のため正規職員は僅かに過ぎない。「あの半円形型のテーブルに座っている方は司書ですか?」と聞いたのは、見るからに司書然として仕事をしていたからだ。どのような巨大な書店といえども司書を必要としない。図書館が図書館であるための存在理由は司書の能力に依存している。管理・業務を民間に委ねている場合、募集は司書資格があたかも役立つかのような募集の仕方だが、職場でその能力が求められることはほとんどないだろう。調べてみると、給与は最高でも18万円、最低で3万7千円、平均11万3千円であった。福岡総合図書館の司書も市の直接雇用だが、正規職員ではないから給与は高くはないだろう。司書はその社会的役割にふさわしい地位と収入を得られるべきだが、それが逆向きに進んでいる。それは図書館の未来にとって躓きの石なのだが。・・・行きはタクシーで1900円かかった。帰り際、図書館職員の方から「すぐそこのバス停から天神に行けますよ」と言われた。バスは高速道路を通り、10分で着き220円であった。
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「非正規雇用切り」が大手を振っている日本だが、ドイツでは派遣労働者は派遣労働会社の正規の社員で、解雇制限を含めて労働者の権利が守られているという記事を読んだ。派遣先の会社が契約を打ち切ったからといって、そのまま派遣労働者が解雇されるわけではない。労働者は派遣労働会社との関係では解雇制限法で守られる。記事は続けて、派遣労働会社の次の派遣先を探すことが出来ない場合は、解雇されることになるが、給与の60%が保障される失業保険を一年間受け取れる。その後も職が見つからない場合は、期限なしの失業保険Ⅱと住宅手当を政府が出す。
 非正規労働者をモノ扱いする日本。例年より温かいといわれる年の瀬でも、理不尽に使い捨てにされる人々にとって、空気は凄凄として冷たい。大企業の身勝手を法改正で可能にした政府は、投げ出される労働者に、その後ろには家族がいる、同情は示さない。その対応は、ただ一応たるもので、ただたまゆらのものなのだ。非と是の区別がつかない政治の底にあるのは莞爾とした薄笑いではないのか。それは非情かつ冷酷さを本性としているのかも知れぬ。
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麻生読みはたくさんあるらしく、踏襲=ふしゅう、措置=しょち、有無=ゆうむ、詳細=ようさい、前場=まえば、未曾有=みぞゆう、頻繁=はんざつ、実体経済=じつぶつけいざい、思惑=しわく、低迷=ていまい、順風満帆=じゅんぷうまんぽ、破綻=はじょう、焦眉=しゅうび、など「社会的常識がかなり欠落している」読み方も多い。
漢字を読み間違えるからといって、それをもって人格をとやかく言われるいわれはない。がしかし、景気対策が国民の暮らしの不安に正面から答えようとするのではなく、選挙目当てとバレていては政治家としての資質そのものが問われてしまう。それに気がつかない首相が漢字を読み違えると、政治家としてではなく人間としての資質にすり替わってしまうのだ。ポスターのスローガンは変えたほうが国民にはしっくりとするかもしれない。
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